Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.
(人生は、クローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。)
これは喜劇王と呼ばれたチャーリー・チャップリンの言葉です。含蓄ある言葉です。
この夏、学創では多くのドラマが見られました。思い通りに勉強が進んだように見える人がいました。逆に、なかなか思うように勉強が進まなかったように見える人がいました。
でも、なかなか思うように勉強が進まなかったように見える人も、よく観察してみると、自分とたたかいながら形にはならない変化をしていたのがよくわかりました。芽吹く前の土の中の努力のように見えました。何もないように見えても人は必ず何らかの経験をしているのです。その静かなドラマを見逃さない大人でありたいとぼくはいつも願っています。
そのようなわけで、チャップリンの名言の顰みに倣って言うなら、こんな感じでしょうか。
You are lazy when seen in long-shot, but diligent in close-up.
(君は、遠目で見れば怠惰だが、近くで見れば頑張り屋だ。)
さて、そんな君の次の段階のために、今日は計画について話したいと思います。
計画は何のためにあるのか? それは、自動化のためです。
毎回、何を勉強しようか考えているとすれば、それにエネルギーを使うし、苦手なものになかなか手がつかず、ムリ・ムダ・ムラが生まれます。
だから、勉強を自動化するために、計画を立てるのです。注意点が3つあります。
一番大切なのは、自分で立てたいと思って立てることです。目標は自分のものです。人に言われて作っても効果はありません。
二番目に大切なのは、欲張らず最低限のものを作ることです。今できる範囲で、やるべき科目、特に苦手科目の必要最低限の量を毎日の勉強に割り振るのが計画の役目です。
三番目に大切なのは、調子が良くても計画を破った長時間勉強をしないことです。「昨日頑張ったから今日は休んでいいや」という最低の言い訳が自分の中に生じるのを防ぐためです。
その他にも細かな注意点はあるのですが、それはやりながら修正していけばよいでしょう。まずはアラームをセットし、時間を決めてやってみましょう。
こうして勉強が自動化できれば、絶対に理解が深まっていくし、勉強のやり方がわかっていくし、勉強がだんだんと楽になっていきます。そして、だんだんと勉強が習慣化していきます。そうなれば、君の勝利です。
君はその時、自分で決めたやるべきことにまず手をつけられる人になっているのです。
勝利を味わいましょう。君はどう生きますか?(S)