世間一般での言葉の使われ方はなかなかに曖昧です。あまりよく考えられもせず、曖昧な語が曖昧なままに使われる場面が多くあります。あるいは、なんとなく周りが言っているからと、本当かどうか吟味もされずに言われている事柄も多々あります。
曖昧な言葉遣いの一つに、間違いと失敗があります。辞書を引くと、「間違い」の語義として「失敗」が載っており、その逆も然りで、辞書からが、大江健三郎さんの言われた「曖昧な日本の私」を表してくれているのです。ぼくたちはそういう文化に生きています。
別に曖昧でもいいじゃんという向きもあるでしょうか。言葉が言葉だけで終わるなら、それでもよいでしょう。でも、言葉は実際の行動に影響するのです。曖昧な言葉遣いをする人に確信ある行動はできないとぼくは思っています。
「間違い」と「失敗」の普段遣いにまで口うるさく言うつもりはありませんが、こと教育の場面になると、この二つをしっかりわけないのは大きな厄災をもたらすと思います。
敢えて「間違い」をぼくは「wrong」の訳語と捉えたいと思います。「wrong」は「right(正しい)」の対義語です。これは「人として間違った」という意味です。それに対し「失敗」は「failure」の訳語です。これは「success(成功)」の対義語です。
「間違い」は良くないことです。ぼくたちは自分の良心に誠実に生きるべきです。でも、「失敗」は悪いことではありません。むしろ良いことです。それどころか、成長のためには絶対に必要なことです。
「失敗」は挑戦していることの証です。「間違った」ことをしている人に成功はありませんが、「失敗」を続けている人には必ず成功が訪れます。
ぼくの言いたいことがわかるでしょうか。君の足を引っ張るのは、「間違い」と「失敗」を混同した大人だし、それをそのまま受け入れている君自身なのです。「失敗」は必要なものです。挑戦していれば、必ず付いてくるものです。そして、その都度、必ず君を成長させてくれるものなのです。失敗を恐れてはいけません。失敗を喜んでください。
今日から「間違い」と「失敗」を分けましょう。「間違い」は避けなければならない。でも、「失敗」は大いに積み重ねるべきものです。君たちは、今日、どんな失敗をしますか?(S)