君たちと面談をすることの一つの目的は、現実を見るための言葉を語れるようになってもらうことです。
古代ギリシアの大哲学者ソクラテスが言った「汝自身を知れ」ということです。
なんのこっちゃ、と思ったでしょうか。
ちょっと、具体的なやりとりを振り返ってみましょう。
「今回の中間テストは君的にはどうだった?」
「全然ダメでした」
「え、全部0点だったの?」
「いやいや」
「全然ダメってことはないんじゃない? よくできたところもあったんじゃない?」
「まあ、国語はまあまあできました」
(得点を確認しながら)「おお、そうだね、準備の何がよかったんだろう?」
「今回はちょっと早めにワークに手をつけて、何回か見直しました。あと、ノートを結構見直しました」
「いいね、いいね。準備にいつもよりも時間をかけたんだ
ね。じゃ、ダメだったって思うのはどれなの?」
「英語です」
「何ができなかった?」
「日本語から英語に直すのが全然できなくて」
「なるほど。どういう準備すれば良かったんだと思う?」
「日頃から、まじめにコツコツ勉強する」
「いやいや、それももちろん大切だけど、日本語から英語に直すのができるようになるためには、どんな準備が必要だろう?」
「うーん、何が出るかわからないから…」
「本当に? 全く見たこともないのが出た?」
「いや、教科書の本文とか、それの応用とかです」
「うんうん、いい分析だね。じゃ、どんな準備ができる?」
(以下省略)
わかるでしょうか。「全然できなかった」という言葉は、実は、できなかったという現実をしっかり見ないようにさせてしまう言葉なんです。それで片付けてしまったら、次へつながらないでしょう?
ちゃんと現実をみて、現実と対話してみる。これがすごく大切なことなんです。
逆に、点数が良かったというだけで、「できた」という言葉で片付けるのももったいないことです。
「点数は良かったけど、自分はちゃんとわかっていたかな」と現実を見るための言葉で振り返れる人は、もっともっと伸びて行きます。
せっかくの大切な言葉は、現実を見ないようにするためではなく、しっかり現実を見るために語ろうではありませんか。
言葉は自分を知るためにこそ使えます。汝自身を知れ。
君は、どんな言葉を語りますか?(S)