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「なぜ勉強しなければいけないのか」という問いについて

 大人は勉強しなければいけない理由をちゃんと語れないといけないとエラソーに言っている人がいました。その人に言わせれば、ぼくはダメな大人だと思います。勉強しなければいけない理由なんて思いつきもしないからです。
 と言っても、もちろん、こういう人が言いそうな「理由」はだいたいわかります。「将来の可能性を広げるため」だとか、「社会で生きていくための最低限の技能を身につけるため」だとか。
 でも、本当に勉強は将来の可能性を広げるんでしょうかね。下手くそな勉強をさせられた結果、努力が嫌いになったら、むしろ可能性が狭まりませんか。あるいは、社会で生きていくための最低限の技能なんてあるんでしょうか。いろんな「生きる力」があることは、いろんな分野で活躍している人がいる現代にあっては常識だと思いませんか。百歩譲ってそんな「最低限の技能」があるとして、それってインターネット検索ができるとか、計算機が叩けるくらいのものじゃないでしょうか。本当に筆算ができることや歴史上の人物を知っていることが大切ですかね。
 旗色をはっきりさせておきましょう。ぼくは「勉強しなければいけない」なんてまったく思っていません。教育で伸ばすべき能力は、そういう教科知識なんかじゃないって思っているのです。これについては、最後にまた述べます。その前に言っておきたいことがあります。
 この問いの答えなんかよりも、ぼくはこの問いが語られるときの気持ち悪さの方がずっと気になるのです。そこには大人側の「勉強させたい」という願望が裏に潜んでいることがわかるからです。相手を思うように動かしたい操作主義を根本に持ちながら、強制はしないという建前でそれを覆い隠している大人の気持ち悪さです。こういう大人は、勉強しなければいけない理由を考えるよりも、どうして勉強をさせたいと思ってしまうのか、もっと自己分析した方が良いと思います。
 さて、ではぼくは君に勉強しなくていいと言うのか。そうですね、もちろん、しなくてもいい。それは君の自由です。だけど、ぼくは勉強を勧めます。なぜか? 楽しいから。ぼくは面白い映画や小説は人に勧めるし、楽しいゲームも人に勧める。そして同じように、かつ、もっとも大きな楽しみとして、勉強を勧めます。勉強は一生楽しめる奥の深い小説でありゲームです。ぼくの教え子の成績の良かった子たちは皆、勉強が楽しいと言っていました。無理にやらせてできるようになるわけがないんです。
 教育は、こういう夢中になれるものを提供することで、君たちの熱中する力や粘り強くやる力や工夫する力や他者と協働する力なんか(非認知能力と言います)を鍛えるものだとぼくは思っています。人生で役に立つのは、教科知識なんかよりも、こっちの力だと信じています。
 毎年夏期講座で勉強して「勉強が楽しくなった」と頭のおかしくなったような人たちが量産されるのですが、今年の君はどうでしょうかね。もちろん、楽しい素材をたくさん用意してあります。
 君たちは、この楽しいゲームをプレーしますか?(S)

学習力創造アカデミー 学創(GAKUSO)