世の中には「失敗」しないための方法論が溢れています。受験に失敗しないため、就職に失敗しないため、子育てに失敗しないため、人間関係に失敗しないため、人生に失敗しないため・・・。その根本にあるのは、失敗は悪だという発想なのでしょう。
そういう時代だからでしょうか、逆に、教育学や経営学の世界では、失敗を自由にできる環境をどのようにつくるかということが注目を浴びています。ここには、失敗は善だという発想がある。
ぼくの経験から言っても、「失敗」から学ぶことはとても多くあります。「次は失敗しないように学ぶ」といった消極的な発想ではなく、「この状況においては失敗こそが唯一の正解だよね」という積極的な意味です。
つまり、人生での成長を考えたとき、「失敗」によってしか学べないことがあるし、それは「成功」なんかよりもずっと価値があることである場合が多々あるわけです。
日本も「失われた30年」を経て、「失敗」しないことがむしろ人生において大きなリスクを持つこと、もっと言えば、人生においては「失敗しないことは最大の失敗」であることが見えやすくなった時代になったのだとも言えるでしょう。
「失敗したことがない人間というのは、新しいことに挑戦したことのない人間だ」というアインシュタインの言葉は、世の中の考えの浅はかさを見事に突いています。
さて、だから、君たちは、「失敗」をもっと喜ぶべきだし、それを挑戦したことの証としてもっと誇るべきだし、そうした人を褒め称えるべきだと思うのです。
逆に(ここからが本題です)、最も避けるべきことは、「失敗」した後の思考停止です。
たとえば宿題ができなかった時に授業を休んでしまう人がいる。何かに失敗した時に「もういいや」と言って自暴自棄になる人がいる。ちょっとした失敗なのに全てを捨ててしまうような行動をとる人がいる。
ちょっと待って。そこでこそ、「失敗」した時にこそ、頭を使ってベストな選択肢を選ぶのが大切でしょう? 「失敗」は人生には必ずついて回るのです。そして、その「失敗」が「悪」になるのか「善」になるのかは、その後の展開が決めるのです。「失敗」が「悪」につながるのは、その「失敗」のせいではなく、その後の選択のせいなのです。
「失敗」したと思った時にこそ、よく考え、自分にとっての一番の選択肢を選ぼう。その時に考え得る一番の得策を選ぼう。そうすれば、後から振り返って、その「失敗」は「唯一の正解」だったとわかるはずです。
君たちは「失敗」の後に、どう生きますか?(S)