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地道が器用を超えていく

 ちょっと昔話をさせてください。ぼくが中学生のはじめに英語でつまずいたということは何度もお話ししていることです。今思えば、教え方の悪さのせいだったと思いますが、そう考えるようになったのはぼく自身が教えるようになってからのことで、当時は、自分は語学学習に向いていないのではないかと本気で思っていました。
 その後、高校で良い教師にあたり、英語は大の得意科目になったのですが、それでも中学でつまずいたという意識と自分が語学学習に向いていないのではないかという思いは残っていました。
 しかし、今回話したいのは、それが残念だということではなく、良かったということなのです。
 つまずいた経験というのは良いものです。人生の次の似たような場面で、注意深く動くようになるからです。
 ぼくは大学に入って、第二外国語にドイツ語を選択しました。その際、自分は語学学習に向いていないのではないかという思いがあったため、注意深く予習・復習をし、基礎の理解に丁寧に取り組みました。
 その結果はどうだったか。クラスで圧倒的なトップの成績を取りました。
 観察していると、小学校の時に頭が良いと思われていた子が中学校で伸び悩むことが多々あります。中学校で頭が良いと思われていた子が高校で伸び悩むことが多々あります。
 ぼくの見てきた最後までずっと優秀な教え子は、良い意味で自信がないのです。自分は頭が良いわけではないからと努力する。その地道な努力が成果と評価を得るのを助ける。
 逆に、一度頭が良いと思われた子たちは、その次の段階で努力ができなくなります。それは、自分には努力が要らないと思っているからではなく、完璧にできなかったらどうしようと思っているからです。頭の良いはずの自分が失敗したら、その称号を剥奪されてしまうということへの恐怖からなのです。
 かつて、レオナルド・ダ・ビンチ展を国立西洋美術館に見に行ったことがあります。その時にわかったことは、あの天才ダビンチが大の勉強家だったことです。彼は先代の偉人たちが書いた書物を隈なく読んでいたのです。それがあの発明の数々を生んだのです。
 頭が良いと言われると気持ちよく感じるでしょう。でも、その気持ち良さの裏には、努力を続けたくないという気持ちがありませんか?
 本当の才能とは、努力を続けていけることです。
 君はどう生きますか?(S)

学習力創造アカデミー 学創(GAKUSO)