「一を聞いて十を知る」という言葉があります。利発な人を指して言う言葉です。
では、その人は生まれつきそんなに利発だったのでしょうか。違いますね。
その人は他の人よりその事柄を知るためのたくさんの時間を、はじめにかけていたのです。
たとえば、大学院で学ぶ人たちは、はじめは学問書に書かれていることの意味がわからず、大格闘するのです。何度も読み直し、どういう意味だろうと考えながら、時間をかけて頭をひねり、やっと少しずつわかっていくのです。
そうやって時間をかけていくうちに、だんだんとその学問の言葉に慣れていきます。こういう場合はこういうことを言っているはずだ、という予想が可能になってくるのです。
その結果、その学問分野のことに関して、一を聞いて十を知れるようになるわけです。
学問の場合だけではありません。何かについて多くの経験をした人は、その分野の事柄について「利発的」になるのです。
逆にいえば、一を聞いて十を知るようになるためには、人は「十を聞いて一を知る」段階を経なければならないのです。
人が何かを知るというのは、そういう営みなのです。
だから私たちは、一を聞いて十を知ることを誇るよりも、十を聞いて一を知ろうとしている今の自分を誇るべきです。それこそ新しいことに挑戦していることの証拠だからです。
十を聞いて一を知る段階を大切にしてください。一を聞いて十を知ることよりもずっと大切なことです。一がわかるまで、十でも二十でも百でも聞こうじゃありませんか。
君たちはどう生きますか。(S)