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才能論をぶっとばせ

 ぼくが「才能論」と呼んでいる考え方があります。たとえば、「この子は算数が得意だ」とか「私は社会が苦手です」とか「彼は典型的な理系人間だ」とか、こういう言い方の根本にある考え方です。まるで生まれつきその人の才能が決まっているかのような考え方です。「私にこの学校は受かりますか?」と聞かれたりするのも同根の発想です。これをぼくは「才能論」と呼ぶわけです。
 これらの言葉に、せめて「今」と付け加えてくれるなら、「確かに今は算数の点数を取れていますね」とか「確かに今は社会の点数が低いですね」とか「確かに今は典型的な理系人間に見えますね」とか「今受けたら落ちるね」とか返せるわけですが、多くの場面で、まるでそれらが一生変わらないものかのように語られます。挙げ句の果てには、「だから、得意なことで生きていけばいい」と言ったりする。うーん、君の「得意」レベル程度で生きていけますか?
 昔どこかで見た笑い話を思い出します。高校の数学の授業での一コマ。

生徒「先生、この問題がわかることは社会に出て何の役に立つんですか」
先生「この問題を理解できない君は社会に出て何の役にたつんですか」

 君たちはなんで教育を受けているのでしょう。ぼくたち大人はなんで教育を受けさせているのでしょう。
 それは人間の変化を信じているからです。ぼくたちは未熟な者です。でも無限の可能性を秘めています。「才能論」はその可能性をぶっ壊してくれる悪魔の発想です。
 得意なものだからやる、苦手なものだからやらない、そんな考え方では君の可能性はどんどんやせ細っていくでしょう。
 ぼくの見てきた立派な教え子たちの「得意科目」は、かつては彼らの「苦手科目」でした。彼らは自分の今の能力を謙虚に眺め、努力したのです。だから、得意に変えられた。だから、人生の可能性を活かすことができた。
 「自分は何が得意だろう」とか「自分はどれくらいのレベルだろう」なんて愚かな考えはすぐに捨てて、「やればできる、やらなきゃできない」という当たり前の正しい思考を持とう。
 「大した命じゃないんだ。死ぬまでやれ」
 これは落合陽一さんに父の落合信彦さんが言い続けた言葉です。ぼくたちの命は大したもんじゃないというのは、ある面において確かな真理です。
 ぼくたちのほとんどは、生まれつきに人に誇れるような才能なんて持っていないのです。でも、だから人生は可能性に溢れていてたのしい。
 君たちはどう生きますか。(S)

学習力創造アカデミー 学創(GAKUSO)