学校の色というものが失われて久しくなりました。私立校の多くは教育目標よりも進学実績を売りにするようになって似たり寄ったりになり、都立校も教員の頻繁な異動と地域性の喪失によって校風を失いました。
そのようなわけで、志望校選びに君たちが難儀するのは当然だと思います。校風というものがはっきりとあったかつてなら、こういう高校に行きたいという気持ちも生まれるでしょうが、それがなくなった今は、志望校選びに心が踊らなくても不思議ではありません。人柄よりもスペックで交際相手を選ぶようなものですものね。
さて、それでもスペックでモノを選ぶ人もいるでしょう。好きか嫌いかよりも、条件が大切だ、という考えも否定はできません。しかし、できるだけ偏差値が高い学校に入れたらいい、という考えには落とし穴もあるのです。
何のために、という目的が無くなり、相対的優劣だけが価値判断の基準になると、視線が外にだけ向き、物事を損得で判断するようになりがちです。どういうことかというと、相対的優劣に目が向くようになると、上の方が得だからなるべく上が良いという考えが台頭し、教育の本来求めていたものからどんどん離れて行ってしまうのです。
農業経済学者の鈴木宣弘東大教授が言っている「今だけ、金だけ、自分だけ」という状態です。その先のことを考えず、損か得かでしか判断せず、自分さえ良ければよいという発想には、人間として成長するという発想がすっぽりと抜けてしまうのです。
それでもいいと思いますか? 考え方は自由ですが、ぼくははっきりとこの考え方を否定します。それは理想論からではなく現実論からです。多くの卒業生たちを見てきて、その発想の人たちは、確実に行き詰まることを知っているからです。
逆に、大きな人生のことを考えながら努力し、金銭的なものではなく自らの価値観を大切に物事を見、他者に気遣いのできる人たちは、人生もうまくいっています。彼らは視線が外にではなく、自分の成長という内に向いています。
とはいえ、そのように初めから発想できる人は少ないかもしれません。だから、ぼくは考え方のちょっとした修正を勧めたい。
もし東大を志望している人がいるなら、東大に入りたいと思ってはいけない。そうではなくて、東大に相応しい人になりたいと思ってほしいのです。そう考えて努力すれば、教育の本当に大切なものが手に入ると思うのです。
君たちは、どう生きますか?(S)