君たちに書いてもらっている授業の振り返りを読んでいると、「楽しい」という言葉がよく出てきます。これはとても嬉しいことです。なぜなら、たのしい時こそ、ぼくたちの頭はよく働くとぼくは思うからです。
以前、ある大学で地元の中学生を集めた出張授業をしたことがあります。その時、参加してくれた中学生たちは口々に「楽しかった」と言ってくれました。そしてさらに「久しぶりに頭を使った」と言ってくれた生徒もいました。
彼女は毎日学校には通っていたはずですが、学校で授業を受けていても、頭を使う経験は少なかったのかもしれません。
ところで、ぼくが授業中にみんなを観察していると、「頭の働いている顔」と「頭の働いていない顔」の見分けがつきます。
頭の働いている顔の君は、ぼくの言葉ひとつひとつに反応し、表情豊かで「楽しそう」です。「わかる」って楽しいんですよね。
一方で、いつもと違って、頭の働いていない顔の君は何も情報が吸収されていかないし、「楽しくなさそう」です。テスト前の緊張からか、誰かに勉強に関して嫌なことを言われたのか。
ぼくは、勉強を楽しむためには、2つのことが大切だと思っています。1つは「強制されないこと」で、もう1つは「上達実感があること」です。
自分からやり出したことと、強制されたこととでは、頭の働きは大きく変わりますよね。強制されたことは「やったら終わり」ですが、自分からやり出したことは、またやりたくなります。
また、上達実感も大切です。簡単すぎると楽しくない。できるから楽しいわけではないんです。自分からやり出してみて、ちょっと進んだという実感だけが楽しさと集中を生むんです。ゲームにハマるのってそういうことでしょ?
これは別名、自発性と呼ばれるものですね。自分からやり出すことと、頭がよく働くことと、楽しいこととは、三位一体です。
そして、ぼくたち大人ができることは、その邪魔をしないことと、楽しみの御相伴に与ることくらいなものなんです。だから、ぼくは君の自発性を尊重します。
君たちはどう生きますか?(S)